財務事務次官(事務トップ)の発言
矢野康治(2021年当時の財務事務次官)は
「最近のバラマキ合戦のような政策論を聞いていて、やむにやまれぬ大和魂か、もうじっと黙っているわけにはいかない、ここで言うべきことを言わねば卑怯でさえあると思います。」
「数十兆円もの大規模な経済対策が謳われ、一方では、財政収支黒字化の凍結が訴えられ、さらには消費税率の引き下げまでが提案されている。
「まるで国庫には、無尽蔵にお金があるかのような話ばかりが聞こえてきます」
文藝春秋編集部「『このままでは国家財政は破綻する』矢野康治財務事務次官が“バラマキ政策”を徹底批判」(2021/10/08)(文藝春秋 2021年11月号)
と、月刊雑誌に寄稿。
中野剛志の反論
これに対し評論家の中野剛志は 「日本の「財政再建」を妨げているのは、矢野財務次官である」で反論。
『楽しく読むだけでアタマがキレッキレになる 奇跡の経済教室【大論争編】』(ベストセラーズ、2022年)
という本まで書いた。
ふとした疑問:「やむにやまれぬやまとだましい」とは?
賛否両論あるザイセイハタン論であるが、当時の財務省事務トップが寄稿文の冒頭で引用した「やむにやまれぬ大和魂」に関して気になった。
ざっとネット、本、論文で出てくるかと思いきや、この出典がなかなか出てこない。
『吉田松陰全集2巻』にある情報を取得。
ただ、大学図書館は他大学に行かないとなさそう。
そこで、自治体の図書館で検索すると、市内の図書館にあるので、取り寄せ。
ありました。
安政元(西暦1854)年4月24日 吉田松陰の兄、梅太郎への手紙、獄中で
赤穂四十七士が眠る泉岳寺の前を通り作った歌
「かくすればかくなるものとしりながら、やむにやまれぬやまとだましひ」蓋し武士の道はここに在り、願はくは私愛の爲めに大義に惑はるることなくんば幸甚なり。
『吉田松陰全集 第2巻』(山口県教育会、1973, 2012, 2015年)p.86
まずは松陰は、赤穂浪士が主君の名誉のために仇討ちを行ったことを成功と認め、自分の出国は失敗したことを嘆いています。
大和魂を比較:死を賭しててでも取り戻す名誉、それとも…
赤穂浪士が行ったのは、自分の主君の名誉の為です。
また、自分の命をかけてでもその名誉をはらすために行った行為です。
実際、切腹を命じられています。
松陰はこれを思い、難しいと思ったことでもやってみることが日本男児の行うことで、これぞ武士道(武士の道)である、と歌を使ったのです。
矢野氏は、自分とは意見の異なる政治家の選挙前の言動を聞いていて「やむになまれぬまやまと魂」を引用します。
「言うべきことを言わねば卑怯でさえある。」といいます。
いやそうでしょうか。
赤穂浪士は、死を覚悟し、実際に闇討ちに行きました。
吉田松陰は、国を憂いて、実際にアメリカの船に乗り込もうとしました。
しかし、矢野のやることは月刊雑誌への寄稿です。
大和魂のレベルが異なるのでは?
確かに前例のないことは勇気のいることでしょう。
ただ、言うべきことを言う、のがやまとだましいでしょうか。
そこまで言うなら、死を覚悟して、までとは言いませんが、少なくとも選挙前に「ザイセイハタンします」と言い、立候補することではないでしょうか。
総理大臣の言うこともコロコロ変わる。
おそらく誰かに言われていることを、できるだけ辻妻を合わせるようにやっているのでしょう。
様々な意見があることはいいことですが、事務次官の行動が疑問で、ずっともやもやしていたので、吉田松陰の歌の典拠を調べた、という経緯です。
責任ある立場にいるのであれば、引用する際は、その原典の意味を読み解いてから使う方がよい、と言うことがわかりますね。
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