『続・愛と誠』(監督:山根成之、1975年、3.15)
ここで第一作の雑感を書きましたが、第二作目の気づいた点を記録です。
引き続き演技の時代を感じますが、色々と学べます。
前回は、主人公誠の悪ぶりが筋でしたが、今回は、それを上回る女性の悪ぶりが展開されます。
スケ番(女[スケ]+番長の「番」)文化の影響が見れます。
たとえば
鈴木則文監督『女番長ブルース 牝蜂の逆襲』(1971年10月公開、東映)
このような作品が公開され知多のが1970年代。
暴力、性、道徳、アウトローにも多様性が生まれてきた時代ともいえるでしょうか。
前回は真面目高校での不良、今回は、不良高校での不良。
それも不良が女子です。
主人公誠があいさつ代わりのスケ番からしうちを受けると思いきや、早速返り討ち。
スケ番の中核を校舎の窓から中刷りに、下着丸見え、学校中の恥さらしに。
スケ番文化を早速逆手にとって男中心主義がまた始まるか、と思いきや。
これがまた梶原一騎。
高校教師となるため研修中の天地大介がやってきて、体操や柔道で生徒をビシバシと指導。
「健全なる精神は健全なる肉体に宿る」と語訳で広まってしまった格言をスポーツ指導に使す。
学園がスポーツで改善されるかと思いきや、結果、女番長高原由紀のナイフ投げによって命は奪われはしないものの精神をずたずたにされ、精神病院送りに。
天地自身が言っていた「健全なる精神」は生徒のナイフ(物質的凶器)によってズタズタにされてしまうのです。
そんなスポ根教師を精神的リンチするのが、文学少女というのも興味深いです。
女番長高原は、ロシア文学ツルゲーネフ『初恋』の中に凶器のナイフを仕込ませて、表ではスポーツ万能、文学少女です。
文学少年梶原一騎のしたたかさが見える。
それだけでなく暴力・リンチが放送コードに引っかかるくらいえぐいです。
主人公を宙づりにし、血眼になるまでリンチ。
ここまで見せておきながら、「あなたを愛してしまうことを避ける」と遺書を残し、海に向かう女番長の背中に、メロドラマ的純愛を避けようとする、プロットはさすが。
近松門左衛門の心中物のような、現世で恋を成就できないつらさははかなさを見せます。
勝ったのは、恋でも愛でもなく、スポコン教師でもなく、もっと怖い後ろ盾を持つスケ番でもなく、自分自身しか頼ることのない、「誠」でした。
多岐川裕美さんの魅力が詰まってます。
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