大学院時代にジャック・ケルアック『路上』(On the Road, 1957年)を読んだ際の記憶がよみがえてきました。
『路上』では、戦後のアメリカの若者のもやもやを、
- 車での移動
- ジャズ
- 酒
- 性
- 禅
これらで発散していく様子が描かれていました。
ガス・ヴァン・サント監督『マイ・プライベート・アイダホ』(My Own Private Idaho、1991年、アメリカ、ニュー・ライン・シネマ)
アイダホでは、また違った「路上」が描き出されていました。
暴投と最後に出てくる広大なアイダホの道路。
そこでぽつんと持病のナルコレプシー(発作性睡眠)になすがままのマイク。
長い人生の中で、自分では動けずに病で立ち止まってしまう様子が暗喩されているかのようでした。
シアトルの街で路頭に迷い、路上で男娼(だんしょう)として男女問わず金持ちに身を売ることでその日暮らしをする。
90年代アメリカも新自由主義的政策によって、貧富や格差が生じ、実際、主人公のスコットとマイクの路上仲間はホームレス。
アメリカ、シアトル、90年代と聞いて思い出すのが
グランジバンド、ニルバーナですね。
91年のこのSmells Like Teen Spiritが売れまくって、
93年には ‘Rape Me, My friend’ (僕を犯して)と歌う。
売れに売れてしまいそれで悩んで自殺をしてしまうボーカルのカートコバーン。
この映画の主人公のマイク役のリヴァー・フェニックスも23歳で急死してしまいます。
90年代の迷走する若者の様子が象徴的です。
市長の父親を持つスコットの家計は裕福で、将来が決まっている。その間の時間つぶしに路上で様々な経験をする。
二人はアメリカの都市部からイタリアに飛び、田舎町で数日過ごす。
ここでの都市部の人々の関係がリセットされ、農村での時間がクリアに映し出されている。
ルールに縛られて人生を過ごしているとふとはめをはずしたくなることがある。
特に20前後はそうである。この時期に、性、仲間、旅、家族を関上げる際に見ておくと良いかもしれない。
スコットにとっては、この非日常が、救いとなっていたのでしょうか。
2020年代の日本、若者はどこに行ってもスマホでSNS。
トーヨコキッズは、オーバードーズ(薬の過剰摂取)。
これが彼らの救いとなっていればよいですが。
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