『ゴジラ-1.0』があぶりだす日本のトラウマとその救い

山崎貴監督『ゴジラ-1.0』(ゴジラ マイナスワン、GODZILLA MINUS ONE、2023年)

【予告】映画『ゴジラ-1.0』《大ヒット上映中》

見たいと思っていたのがやっと見れた。

これはもっと早く見るべきだった。

  • 特攻隊で濫用された武士道思想の展開
  • 戦後のトラウマの呪いと救い
  • 国でなく民間の努力とその限界

と考察ポイントが多い。

 

特攻隊の神格化の

主人公(神木隆之介演じる敷島浩一)は特攻から逃げ、ゴジラへの攻撃からも逃げ、生きていることに後ろめたさを感じている。

どこか中性的で必ずしもマッチョでなく、頼りない感じを出している神木君が主人公なのがまた良い。

中盤までの弱弱しさ、から覚悟を決めた男らしさが際立ち、またその姿勢の変化が強調されている。

ヒーローになれないダークヒーロー像は、アメリカの『ダークナイト』でも描かれていた。

歴史的、文化的に(一応)継承されてきた武士道的な日本男児からはずれたsy人口増が描かれているのも注目。

スティーブン・クレイン(Stephen Crane, 1871-1900)の『赤い武功章』(The Red Badge of Courage, 1895)では、戦争から逃げる男性像が描かれていたのを思い出した。

武士道からの逃避と言う視点は面白い。

傷を持つ主人公

ひょんな出会いから家庭的なあたたかさを垣間見る主人公敷島。

とはいえ、特攻から逃げ、目の前で仲間をゴジラに惨殺された経験から悪夢に襲われる日々。

『ベルセルク』のガッツ、『ヴィンランドサガ』のトルフィンのようなマッチョではない。

とはいえあ、敷島はトラウマを抱え、敗戦したものの一人ゴジラとの戦争は終わっていなかった。

このトラウマからの解放としてかつてできなかった特攻つまり「死」に見出すのも自然である。

とはいえ、この作品が強調するのは「生きる」である。

国でなく民間、の限界と可能性

クライマックスでアメリカとソ連の外部的要因とは言え、日本は骨抜きで国としてゴジラ討伐への軍事行動ができない。

国民を守るよりも、外圧や対面を優先する日本国はよく描かれている。

また、セリフの節々に

「情報統制はこの国のお家芸」

などちくりと批判が入っているのも良い。

そして後半はあくまで「民間」が動くしかないという状況。

ここで「自助」「共助」をやることが前提となっていることも、非常に日本的とも言える。

愛の表象

とはいえ、陳腐なキスシーンやロマンティックシーンが排除されているのは日本的で良い。

欧米化した作品だったら、最後のシーンはぶちゅーとディープキスだっただろう。

それではこの作品の質が落ちる。

日本性を残しつつ、その日本を現代的に変化させつつ、伝統としてのゴジラを深化させた作品だと考えた。

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