無駄なことの方が良い
この記事の結論は、
- 偉い人が言う教育方針は間違いが多い
- その「偉い」人が教育をビジネス化してる(大学は稼がないほうが良い)
- 伝統的な教育方法の方が良い
以上です。私が大学教育で英語を教えているのですが、身にもって感じます。
これについて深堀していきたいです。
学校教育で「実践的」「社会に通用する」は意味ない
実践的なことは専門学校、もしくは大学外でやればよいです。
社会に通じることは社会に出てからやればよいです。
大学でやる必要はありません。
私は大学卒業後、正社員で営業をしていたことがあります。
当時大学で学んだことは何も活かすことがありませんでした。
これで良いのです。
営業は会社で学べばよいです。
大学では大学でしか学べないことを学びましょう。
授業で「実践」なんてできるわけがない
たとえば営業を大学の授業でやる、とします。
現場(ルートセールス)はこんな流れです
- 出社8時
- 電話なりまくる
- 受注する
- 届いた商品と回る客のルート確認
- 商品を効率よく車に積み込む
- 午前営業10時頃
- 運転中電話対応(本当はダメです…)
- 商品納入と営業
- 帰社昼&休憩20分
- 午前中に届いた商品確認
- 午後便へ14時頃
- 営業
- 帰社18時頃
- 伝票整理、営業日誌作成
- 退社20-21時
これのどれができるのでしょうか。
授業ではどんなに少人数でもゼミで10人。これのどれを実践的に学ぶのでしょうか。
一番効率が良いのは営業して学ぶ、です。
大学の授業で「実践」という名の営業「ごっこ」では、学べません。
なんかやった感、は得られるでしょう。
- 会社のお金
- メーカーの商品
- 上司の体面
社員はこれら責任をもって行動しています。
新入社員とはいえ、ミスをした際の罪悪感は底知れません。
たとえば大学生は大学のお金を使えません。(教員や職員はこれを嫌います。責任を負わせたくないからです)
これで実践はできません。
では大学で何ができるのか
大学でできるのは研究です。
研究をする際、自分で問題を設定して、それを論じます。
理論や考え方を学ぶのです。
~と考えると~という結論に至る。
この試行錯誤をして考え方を鍛えるのです。
その実践はできるでしょう。
大学では何が学べるか、何を学ぶべきかについては
こちらで書きました。
安っぽい「社会で通用す」に惑わされてはいけません。
「社会で通用する」こと「だけ」を求めていると、薄っぺら人間になります。
大学生にはやるべきことがあるのです。
間違ってる政府
こんなニュースが出ました。
絶望しかありません。
世界トップレベルの研究開発を目指す大学の経営力向上を図るため、産業界や公的機関などの外部人材を入れた意思決定機関を各大学に設置する方針を決めた
↑は冒頭部分の引用ですが、突っ込みどころ満載です。まず
「世界トップレベルの研究開発を目指す大学の経営力向上」
ここが許せません。
大学はある程度「経営」をしないといけません。
ただ、その経営力の向上などと言って、政府はビジネス臭ぷんぷんの外部を入れて、テコ入れしようとしています。
「意思決定機関を各大学に設置する方針」
これが胡散臭いです。
大学の意思決定は「教授会」です。
大学の現場の教職員が集まって、大学の大事なことを決めていきます。
おそらく現場の教職員が意思決定できないようにして、
大学の実情や現状を把握していない外部の人間が何かを決める、ということでしょう。
ここまで来てしまったか、という感じです。
大学には何が必要?
世界と競うために必要なのは「経営力」ではありません。
少なくともデフレで不況でコロナの中で必要なのは
- 教職員
- インフラ
- 時間
です。
今までは
- 教育費を削って
- 無駄なものはカットし
- 効率!効率!成果だせと焦らせる
これで日本の研究力を落としてきたのではないでしょうか。
失敗してきたのではないでしょうか。
コロナで「緊急事態宣言!」と言って、小手先で全てをうまく回そうとしてもうまくいきません。
こんな一人の大学教員のブログで主張しても難しいかもしれまん。
私も学生を抱える現場の教員です。
変なマインドを学生に与えないよう、一人でもまっとうな教育に目覚めてもらいたいです。
教育と政治についても
こんなことを書いたので、ぜひ読んで考えてもらいたいです。
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